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桃
匂いというものは、五感のうちで最も長く記憶に残りやすいらしい。
脳裏にこびりついたあらゆる香りは、再会する度過去の記憶を呼び覚ます。まるで、逃れることのできない呪いのように。.[1-b 桃]香水ではないが、衣服のフレグランスとしてW dressroomの49番を使うことがごく稀にある。韓国の安いパフュームなので、香りが飛ぶのがとても早い。その香りを纏っていられるのは、たったの2,3時間だけ。無論、大事な用事の日に使える代物ではない。だからその香りを私の一部と認識しているのはごく近しい“友人”だけ、ある意味で特別な人だけだ。W dressroom 49の香り。それは、剥きたての桃の果実の香りだ。よくある人工的なピーチの香りでも、ネクターのような果汁の香りでもない。誰かから貰った旬の桃。みずみずしいその果実を割って、ご丁寧に皿に並べてもらったときの。唾を飲み込みながら、キラキラと光を反射するその白い破片に爪楊枝を突き立てようとしたとき、不意に頬を不愉快な痛みで擦られて、顔を上げると君がいたずらっぽく笑ってる。何が起こったか分からなくて頬を撫で、君の両掌から目に見えない棘を伝染されたことにようやく気づいて、ちょっとむくれながら頬張るあの甘い桃の香り。少し寂しくなってしまったときだけ都合よく頼る友達。
恋愛対象ではないとお互い突っぱね合いながらも付き合いを続けられたのは、二人の性格が似ていたからだろう。愛が無限に湧いてくる、八方美人なその短所が。彼の部屋で、外の物音にいちいち躊躇いながら口移しで安いウイスキーを交わして、その苦さに悶絶したっけ。一線は越えなかったし、「好き」が嘘っぱちなのも二人とも知って言っていたし、全部終わる頃には桃の香りは消えかかっていたけど。自業自得なのに、虚しくなって溢れてくる涙。それを止めてくれるだけの器用さは彼にはなかったけど。散々彼のシャツを濡らしてから自力で泣き止んで、口に引っ掛かった苦味をヴォルビックで胃のなかに押し込んで、キスで根こそぎ持っていかれた唇の血色を、誰に貰ったかも忘れた口紅で補充した。もし、そういう関係がずるずると続いていたら、私は彼と会うときは桃の香りを選び続けただろう。それこそ桃の香りを嗅いだだけで勃起する体に作り替えてしまうほどに強く調教したかもしれない。そういう世界線も十分にあり得た。私と彼とは、もう会っていない。.(このポエムはすべてフィクションです)【姫予約】LINE▷@489zkzkztwitter▷@KB_szk
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