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きらい、だけどすき。
私がプロ野球ファンになったきっかけと、いまの野球観について。
父は阪神ファンでした。毎日仕事から帰るなり、私たちが観たいテレビも構わず実況中継に一喜一憂していました。私も面白くないなりに渋々付き合っていましたが、阪神が下手な試合をすると露骨に機嫌が悪くなる父だったので、
ただ「よくわからないけれど阪神というチームが勝てばいいらしい」くらいにしか思っていませんでした。また、父の野球好きは私の教育にも向き、半ば無理やりクラブチームに捩じ込まれました。そこではチームメイトやその親から邪険に扱われ、技術面でも芽が出ず、苦い思いを噛みしめる日々。はじめのうちは自主練やトレーニングで見返してやろうと熱が入りましたが、それも長くは続かず。同級生たちに先を越されていく焦りや劣等感から、徐々にモチベーションを失っていきました。毎週、全体練習の日がくる度「雨が降ってほしいなぁ」と、時間ギリギリまで窓の外を眺めていました。それでも頑張って続けていた理由は、本当はピッチャーになりたかったから。しかし、結局卒業までセンターから動かされることはありませんでした。足が速いから、と言い訳されていましたが、田舎の弱小クラブチーム特有の内野至上主義と年功序列制度を踏まえれば、上級生になっても外野から動けないという事が意味するところは単なる「ごまめ扱い」であることは、幼い私も分かっていました。私は、野球が嫌いです。今も、昔も。そんな私がプロ野球を観るようになったのは、小学4年生の頃父が連れていってくれたある試合がきっかけです。甲子園の巨人戦。轟くトランペット、翻る大きな旗。たまにうろ覚えのヒッティングマーチを口ずさんだり、すべてが新鮮な体験でした。しかし、野球嫌いの少女を大人しく狭い席に落ち着けておくにはナイターは長すぎ、4イニングめに差し掛かる頃には既に飽きかけていました。なんで好きでもないチームをこんなうるさいところで応援しなきゃいけないの?そういえば、着せられているユニフォームの背番号が誰のものなのかすらよく知らない。私は何が楽しくてこんなとこにいるんだろう?早く帰りたいな。ふらふらとよそ見をしながらぼんやり考えているところに、突然大きな声が割って入りました。悲鳴のような、歓声のような。周囲につられて顔を上げると、何かがこちらに向かって飛びこんでくるとわかりました。そしてその「何か」は、私のすぐ目の前に着地したのです。反射でそれを拾い上げると、それはつい今までグラウンドを飛び交っていた白球。内野アルプスに飛んできたファウルボールでした。周りの席の大人たちが、よかったねー!とニコニコ。となりの父が私の肩を叩き、嬉しそうに教えてくれました。「今それ打ったんが新井や」新井貴浩。忘れもしないその人が、はじめて覚えた野球選手でした。以来、テレビで阪神戦を見るたび彼を目で追うようになりました。満員御礼の甲子園。四万何千人のうち私を選んでやってきた運命の一球。たかだか一本のファウルこそが、私と野球を引き合わせてくれました。うっすら土で汚れたNPBのそのボールは、今でもリビングに飾られています。ところがあるとき、彼は甲子園の舞台から突然姿を消しました。そして、次にその名前を見るのは何故か敵チームの打線だったのです。それが意味するところを知ったのは、新井貴浩という選手の本当の姿を知ったのは、それからずいぶんと先の事でした。その後、広島東洋カープはセ・リーグのなかでも圧倒的な強さを見せ、リーグ二連覇を成し遂げました。新井貴浩も功労者として大きくたたえられ、惜しまれながらも華々しく一線を退きました。その頃の新聞を見るともちろん、肩書きは「カープの新井さん」です。それもそのはず、暗黒期とも呼ばれた阪神時代は彼の野球人生においてほんのわずかな期間でしかなく、選手生命の大部分を鯉に捧げたヒーローだったのですから。けれども、私の中の新井さんは縦縞のユニに身を包んだ、ほんのちょっと嫌われ者の新井さんなのです。何年経っても、誰がなんと言おうと、サインが撤去されようと、私の中の新井さんは阪神タイガースの新井貴浩なのです。だから、今や平成の思い出話としてメディアで取り上げられる写真で、馴染んだはずの彼の赤いユニフォームを見るたび、「やっぱ、似合ってないよな」とつい独り言を言ってしまうのでした。
⚾そして、25番という選手の縦縞時代を暗黒期と呼ぶように私の野球人生も全てが暗黒期のようなもので、今でもキャッチボールやバッティングセンターにはアレルギー反応が起きます。死んでもやりたくない。
でも、バッティングセンターだけはたまに行っちゃう笑
ライナー量産機だけど……笑だって「お前足速いのは分かったから。いくら足速くたって塁に出なきゃ意味ないんだぞ」と一時の植田海くんみたいなこと言われたり、「お前スイングだけじゃねえか、素振りばっかりしてねえで球見ろ球。見えねえなら野球向いてないからやめろ」とか「なんでフライの落下地点も読めねえんだよ野球をやめろ」とか単純に「ヘタクソなので野球をやめろ」とか死ぬほど叩かれたしハブられたし悪口言われたし泣かされたから!!!!!私だけ盗塁決めようが何しようが褒めてもらえんかったから!!!!!!練習終わりのベーランリレーでしか活躍できんかったし、そのベーランですらチームメイトから嫌われすぎてメンバー決めじゃんけん(グッパでリーダー一人ずつ決めてじゃんけんして、勝ったら一人メンバーとるやつ)で最後まで選ばれなくて、最終的に「いるかいらんかインジャンほい」(最後まで余ったひとりを勝ったリーダーが取るか相手チームに押し付けるか決められる)で「いらん」って言われて負けたチームに嫌な顔されながら引き取られていく人だったから!!!!!!!!!!!(マジで悲しい)ちょっと野球下手なくらいでこんなに嫌われないでしょ人間性でしょ。でもマジでなんもしてないし嫌われるようなことも言ってないし昔っからそう。だから中学入って団体競技無理だなってなって剣道と空手はじめて段とったし、高校入ってもうスポーツ無理だなってなって見る専になった。応援楽しい。みなさん、野球やるときは誘わないでくださいね!
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