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sniffing curse ①
一生嗅げない香り。
どんなに手を伸ばしても、もう戻ってこない。
あれほどまでに何度も何度も摂取してきたのに、
これほどまでに記憶に焦げ付いて離れないのに、
誰も返してはくれない記憶。
強く、強く、焼き付いていて、
それでいて、今にも崩れ落ちそうに脆い思い出。
再び手に入れば鮮明に蘇るというのに、
失ったとたん消え去ってしまう、不思議な呪い。
わら人形でも、十字架でもなく、エタノール90パーセントの色水がかけた秘密の魔術。
-combining-
「わ、香水?かわいいー」
「ネロリアンドオーキデっていう、季節問わず使える柔らかいフローラルだよ。
ロクシタンは瓶もすごく凝ったデザインだから、コレクションしたくなっちゃうんだよ。
君も今日から大人になったから、長く付き合っていけるプレゼントをって思ってね。肌につけられるのは一応期限があるけど、服や持ち物につける用途なら、保存管理さえしっかりしてれば一生物だよ。まあ一日一日劣化や酸化は進むから、今日のお気に入りは明日には好きな香りじゃなくなってるかもしれない。それも含めて、香水は生き物なんだ。
前に俺の香水気に入ってたみたいだけど、香りって本当に好き嫌い分かれるし、同じ香水でもつけたてと時間経った頃はまったく違う顔するから。
だから、ほんとはプレゼントには向かないんだけどね……だけど、香水ってなんか君に似てる気がするんだ。いろんな表情を秘めていて、ゆっくり時間が経つうちに、ゆっくり成長して姿を変えてく。引き立っていく成分に、失われていく成分。そうやって来年の君は、再来年の君は、きっと今とはちょっと違う色をしてる。
そういうとこが好きだから、ぜひ興味持ってもらいたくて。
デビュー戦にはまず万人受けするやつ。」
「ほんとだ、いいにおいだー」
「せっかくちょっとこっ恥ずかしいこと言ったのに、いいにおいのひとことで片付けるのはやめていただいて」
「君が使ってるのはなんだっけ?」
「アールグレイアンドキューカンバー。ジョーマローンの、イングリッシュペアーアンドフリージアに次ぐ代表モデルだね。名前の通り、紅茶をベースに爽やかなシトラスが連なる、比較的フランクにつけられる軽めのテイストだよ。」
「ふーん……ねね、こっちきて」
「ん?どうしたの」
「でね、ぎゅってして」
「えぇ、なになにいきなり……はい、ぎゅー」
「へへ……なんかね、わたしの今もらった香水、君の香水と一緒に嗅ぐとすごくいいにおいになるね」
「ん……ああ、確かに……本当だ、すごく相性がいいのかもね。
このジョーマローンにはコンバイニングって概念があってね。香水を少量ずつ2種同時につけて、肌の上で調香するんだよ。この香りが気に入ったなら、俺のアールグレイ分けてあげようか?コンバイニングすればいつでも嗅げるよ」
「うーん……ううん、いい。だからそのかわり、わたしと会うときつける香水はこれにして。わたしもオーキデつけてくるから。
そしたらさ、わたしたちが一緒にいるときだけ嗅げる、特別な香りになるよ」
「ふふ、いい考えだ。すごく君らしくて好きだよ」
「でしょー?わたし、聞いたことあるんだ。匂いってさ、五感の中で一番記憶に残りやすいんだって。だから、嫌な記憶もいい記憶も、強く頭に残る記憶があると、そこにあった香りも一緒に覚えちゃうんだって」
「そうそう、よく知ってるね。
こうして一緒にいるとマイナスなことも起きちゃうけど、プラスなこともいっぱいある。その記憶全部全部、この香りに紐付けておこうね。あとでいつでも、取り出せるように」
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