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sniffing curse ②
-A side-
……なんて、言っていたのに。香水みたいな君を構成してたのは、香料にたとえると……ストロベリー、グレープフルーツ、それから、サンダルウッド……だろうか。爽やかでフレッシュなトップノートから、ミドルノートを挟まずに甘ったるく大人びたラストノートに、直接飛び越えていってしまったようだ。サンダルウッドのラストノートは、香水嫌いの人間を生み出すのに最も適した要素だと思っている。かくいう自分も、サンダルウッドの香りはとても苦手だ。底なしに甘くて、それでいて苦くて、とにかく重苦しい。全身ハイブランドで固めた胡散臭い男がよく好んでつけているイメージが強い。ホストだとかネズミ講だとか、とにかく爽やかな人間には似合わない。大人の色気なんて聞こえよく言っているけど、要は若い感性には理解できない悪臭だ。こんなものは。彼女は、成長するのが早すぎた。そして、俺が一番なってほしくない形の大人になってしまったのだ。人間には、少なからず知ってはいけないことがある。そのひとつが、お金の価値だと俺は思う。彼女がいわゆる風◯の仕事を始めようとしていると正直に打ち明けてきたとき、俺は強く反対できなかった。それは、彼女が貧乏暮らしで学費を自分で負担していることや、そのために大学で友達も作らずアルバイトと勉強に全時間を費やして、それでも追いついていないことを知りながら、何もしてやれずにいた弱味のせいでもあった。時給1000円のコンビニアルバイトで生計を立てながら、近く背負うことになる400万円の借金もとい奨学金の返済に向けて貯蓄を強いられている彼女の精神は、高卒の俺には想像もつかないほど窮地に追い込まれているらしい。最近泊まりに来たとき、こっそり睡眠薬を飲んでいるのを見てしまった。それも今に始まったことではないらしく、立ち尽くす俺に「あ、見られちゃった」と情けなく微笑みながら、「知られたくなくって、今まで薬のゴミも持って帰ってたんだけどね……これからはもう隠さないでいいってことか」と、わざとらしいほどに明るく振る舞う彼女の肩は、明らかに前より痩せていた。「教師になりたい」彼女は依然そう語る。ふざけんな。そんなボロボロになった体で、いったい誰に何を教えられるっていうんだよ。汚い大人の世界を知ってしまった目で、教師なんて聖職できると思ってるのかよ。なんで、覚えたばっかりの酒に溺れて毎日食うや食わずの生活してるくせに、赤の他人にお勉強教えてやる気でいられるんだよ。見ず知らずの人間の一生なんて背負う覚悟の前にまず自分を蔑ろにするのやめろよ……そんな正論を何度も飲み込んだ。本当は分かってるはずなんだ、自分でも。だけど、それを他人から改めて自覚させられたら、きっと彼女は生きるモチベーション自体失ってしまう。だって、彼女が見てるのはもう教師という夢なんかじゃなくて、目先のお金になってしまってたから。本音を言ってしまえば教師の仕事自体にはもう魅力は感じなくなってしまってるのに、もう今更別の夢を探す余裕もないくらいに今日明日の生活が追い込まれてるから、教師を目指さざるを得なくなってるだけで。教師を目指しているという大義名分がなくなってしまったら、彼女が乗り越えないといけないハードルはその日その日を死なないことだけ。そうなってしまった暁には、きっと彼女の性格なら今の人生なんて投げ捨ててしまうと……たった何年か一緒にいるだけの俺が、そう察してしまった。だから言えなかった。最後まで言えなかった。ずっと言わないまま、そっと逃げてしまったんだ。最低だよな、多分怖かったんだろうな。彼女の道を閉ざすことを言って、だからって死んでほしくもなくて、でも頼られるのは怖かったんだろうな。だって支えきれないから。生きる術を失った彼女が俺を頼ってきたとして、金も時間も心の余裕もない俺にはとてもとても養ってやることなんてできない。勝手すぎると思うけど、やっぱり俺だって人間なんだから自分が生きてくことのほうが大事って思っちゃうんだよ。甲斐性なしでごめんなさい。本当に本当に好きだった。でも、生きるために穢れていく君を見てるのは正直耐えられないんだ。なのに手は差し伸べてあげられないから、見えてるサインを知らぬふりすることしかできないから、そんな自分にももう耐えられないんだ。20歳の誕生日に贈ったロクシタンの香水を、彼女はずっと使い続けてくれていた。会う日のすべて、彼女は本当にその香りを纏って現れた。別れを切り出すその日にも、ずっとずっと同じ香りだった。そういうとこだよ。俺、君のそういうとこが大好きで、そういうとこがめちゃくちゃ嫌いだったんだ。
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