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sniffing curse ④
-B side-
「別れたい」いつも通り、あるいはそれ以上の力で私を抱きしめながら彼は言った。顔が見えないけど、多分泣いてる。それを隠すためにぎゅーするなんて、君も随分子供だなあ。私のほうが年下だけどさ。なんとなく察してた。会う度いつこう言われるか、すごく怖かったけど、抱きしめる力が日に日に弱くなっていくのを感じてるうちに覚悟はできてた。極めつけが、眠剤飲んでるとこ見られちゃったあの日。日中コーヒー抜いたりアウトドアのデートを増やしたり、眠りにつきやすい生活にしてなんとか調整しながら、彼が眠ったあとで見られないように飲んでたのに、まさか起きてくるなんて思わなかったなあ。今思えばいくらでも誤魔化しようはあったんだろうけど、つい打ち明けてしまった。助けてくれるって期待してたのかもしれない。自分ではそのつもりはなかったけど、心の奥底でちょっとだけ思ってたのかも。高卒から働いてちゃんと暮らせてる彼に正直ちょっと嫉妬してた。大学に行かなくていいような教養で就ける程度の職と、内心見下してたのも事実なんだと思う。それでも、学費と生活費だけで精一杯の自分と、やるべきことをやってしっかり自立してる彼。どちらが社会に必要か、考えなくてもわかることだ。こんなに頑張ってるのに、こんなにいろんなこと我慢してるのに、勝てない。悔しくて仕方がなかった。ソープで働こうと思ってる、と馬鹿正直に彼に打ち明けたのも、隠し事はできないという誠意が半分、止めてほしいという淡い期待半分だった。だけど彼は止めてくれなかった。「応援はできないけど、それで生活が楽になるなら……君が健康に暮らせるなら」と、ただただすごく辛そうな顔をして、小さく呟くような声量で認めてくれた。まるで私に伝えるというよりは、自分自身に言い聞かせるかのように。それを聞いた瞬間、私は全部を後悔した。今の暮らしがつらいからと、軽い気持ちで体を売ると決めたこと。自分勝手な都合で彼にそれを告げてしまったこと。精神科に通っていることを伝えてしまったこと。遡りはじめるともう止まらなくて、何が悪かったのかもうわからなくなっていた。そもそもなんでこんな生活を?大学に入ったから?裕福な家庭に生まれなかったから?もしかしてそもそも教師を目指し始めたことが…………あれ?私って本当に教師になりたいんだっけ?なんで教師になりたいんだっけ?ダメだ。これ以上はいけない。よくわからないけど、これ以上先に進むととんでもないものを何かに盗まれてしまう気がする。私は考えるのをやめて、大衆ソープの風俗嬢として生きることにした。少なくとも彼からなにかしらの答えが与えられるまでの間は、それで飢えを凌ぐことができるんだから。私は教師になりたい。私は教師になりたい。私は教師になりたい。抱いた大きな夢のために、ちょっと今を切り売りしてるだけ。そう思わないときっと死んじゃうって直感してた。近くお別れになるまで、ずっとこの香水をつけてようと思うんだ。察してることがバレないように。ごめんね。君の気持ち知ってるけど、知ってるんだけど、君から教えられるまでは知らないふりさせてね。
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